幸せの翼・5

菊月 孔命

10月2日 火曜日 東京の天候 晴れ 昨日・最高気温33度

6月以来の投稿記事になった。

今回も、運命転換分析論としてではなく、フットワークの軽い【幸せの翼】で総合的な内容の記事を書きたい。

今日は1日だが、昨日の9月30日のPM11時は、台風24号の大接近というか、本州を縦断する形になり、1日の0時以降は、まれにみる強烈な暴風雨の轟音が外で轟いていた。

その時間、オフィシャルブログの投稿記事を書いていて、外のあまりの轟音で停電を心配してしまったくらいである。(笑)

今日は、朝起きて外の状態を確認したが、道路は凄い悲惨な状態だった。

葉っぱや折れた枝が道を覆い隠すほど散乱していて、生まれて初めて見る台風後の悲惨さであった。

テレビの天気予報によると、今度は台風25号が発生したらしい。今度は週末に日本に接近するのでは、と言っていた。今度は最小限度の被害を祈りたい。

さて、今日は何をテーマに書こうかと考えているが、本日、ある会合に出席していてある元気なご婦人がいた。元気と言っても、会話というか声がすごい元気だ。

しかし、会合が終わり、たまたま僕も自宅にすぐに戻りたくてそのご婦人と帰り時が同じタイミングになり、帰り時の団地の階段で僕はそのご婦人の歩き方というか、階段の下り方の歩き具合を見て、会合中の元気と実際の独り身の動きに違いがあるのだと驚いた。

そのご婦人、年齢は・・・70歳を超えていると思うが、会合中は、はきはきと元気よくしゃべり、動きも機敏。しかし、団地の階段で見たよぼよぼのよちよち歩きは、いったい何なんだ、と思った。

僕は思った。現実の年齢は、もうやはり老人なんだと思った。仲間といる時は、負けじ魂で誰よりも元気よく振舞っているが、一人になると、しょぼん・・・としてしまうのがあの方の生き方なのかもしれない。

これは、僕ももう50代になって理解できることである。僕ももう若いとは言えない。

しかし、まだご老体ではない。あのご婦人よりは歳はまだ若いが、50年以上も生きれば、あのご婦人の老体の重みもわかるというものだ。

なので、今日のテーマは、自然を語ってみたい。

広大な宇宙はひとつの生命体ととらえられている。

釈迦が説いた法華経でその生命の現象の実態や実像が明らかになった。

これは、まだ現代の科学が追い付かない中での、最先端の生命論・生命哲学である。

正確には、日蓮大聖人の説く法華経の生命論が世界最先端哲学で、科学がそれを証明しようと、今、進歩している段階が今の現代だ。

ただ、法華経というと、宗教色が強いで、【信じる】か【信じない】かの世界に陥るが、生命のシステムを論ずる上では、日蓮大聖人の説く法華経こそが生命哲学の論理の最高峰と言えるのだと皆様に申し上げたい。

話は戻るが、宇宙はひとつの生命体であり、我々も宇宙の一個の生命体である。

人間の眼から見ると別個のように考えてしまうが、我々の真実の姿は、この大宇宙の中に溶け込んでいる一個の生命体の中で生きる動物が人間なのである。

なので、人間の目から見ると別々に見えるが我々は宇宙とともに生き、宇宙とともに命が鼓動して常に宇宙の生命体と溶け合う現象の中で生きているのが我々人間で、生命の事象現象を人間はいつしか【自然】という言葉で表現するようになった。

今、我々は生きて今の現代を生活しているが、自分が今生まれている、という事は、過去を振り返れば、自分が生まれるまでの生命のルーツは何千億年にもおよぶ歴史が我々の生きる鼓動の中に刻まれている、ということだ。

宇宙はデカイ。ましてや、大宇宙の中の銀河系、なかんずく太陽系の地球に生まれてくる確率はまさしく天文学的数字の確率だ。

ましてや、その中でも人間として生まれる重要性はいかばかりかと僕は思考する。

まあ、これは表現だが、宇宙の生命は、かりに透明として、現実に我々をのみ込んで存在しているが、確実に生命は現存している。

肉体をもった色心の我々だけが生命体ではない。これはスケールがデカイが宇宙もまた我々と同じ生命で、縁によってまだ肉体化・物体化していないだけだ。

これがある縁によって何らかが発動して我々の個体の生命体になって生まれてくる。

こんな話をすると、えー、人間はセックスすると妊娠するんでしょ、だから生まれてきたんじゃない!  と答える人は、まだ生命の真実を悟っていない証拠の人だ、といえよう。

そして生命は、生きている物体か透明の生命に別れるわけだが、その動く鼓動と現象の過程は一切同じである。

解りやすく答えれば、生まれて、存在して、崩壊していく・・・そして消えて宇宙に溶け込む・・・これの繰り返しが真実の生命の法則的動きである。

人間の一生は、広大な宇宙生命の鼓動から見ると、実に小さすぎるのが現実の姿だが、宇宙生命にも【運命と使命】の一生があり、我々もまた一生の運命の中に使命がある。

人間という一個の個体の物体は、生きてからは、すべて使命を果たし切ってからこの世を去って宇宙に溶け込んでいく方程式の中ですべての人間が生きている。

たとえ人間が堕落しようと惰性になろうと、深い使命からみれば、すべて人生においては、それらはなくてはならない人生の材料なのである。

つまり、惰性や堕落がわかるから人間は向上心がもてる。

また、不幸を感じるから真実の幸福もわかるというものだ。

その論理を説ききったのが、正確には生命の法則を説ききり、真実の幸福とは何か、を教えてくれたのが日蓮大聖人の説く法華経なのである。

まあ、宗教色は、ちょっと置いといて・・・・。

人間の今の【生きる環境】を創り上げたのが、我々人間の一念である。

つまり、我々の一念の決意で、すべての環境が良い方向へと変化していく。

これが生命の論理と法則である。

なので、人間は、幸福になりたい! と思えば、いくらでも裕福になれ、福運もどんどん付ける事ができる生き物なのだ。

また、自分も、縁する他人も幸福にできるのが我々人間の人生なのだ。

苦悩する人に、【一声】かけることによって、相手の人生が良い傾向へと激変することだってある。

人間の平和論とは、まず一個人が幸福でなければ、世界の平和はまずありえない。

一個人の連鎖のつながりが世界平和へとつながって行く。これはすべて自然の法則である。

人間の人生は、一生を自然、言い換えれば、宇宙生命と一生を生きることになる。

僕は、50年生きて理解した事であるが、一分でも一秒でも早く、生命の法則と論理を知った者が人生は【勝ち】だと思う。それは人生の【価値】にもつながる。

生命の悪くなる傾向を早く見つけ、事前に対処できれば人間はいくらでも良い方向へと幸福になれる。

だから、真実の生命哲学、人生哲学を見つけてください。

あなたも幸せになる使命があるのです。

今回はこの辺で・・・。

今回も僕の投稿論文を最後まで読んでくれてありがとうございました。

この投稿記事を読むすべての方々の幸せを祈りつつ・・・。

救済X主宰 菊月孔明



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