幸せの翼・3

菊月 孔命

2月18日 日曜日 東京の天候 晴れ 時々 曇り の 予報 

最高気温9度

本日の投稿記事は、一か月以上ぶりの投稿記事になった。

前回の【幸せの翼・2】の投稿記事を確認して調べると、投稿日は1月8日の成人の日であった。

もっと、気を引き締めた闘いをしないといけないと反省する次第である。

正直な話だが、人生半世紀も生きているが、1月よりも2月の方が実際の話、現実問題として気温的に【寒い】と意識、自覚するようになったのは、48歳くらいからである。

48歳までは、2月は立春もあり、心では【春の訪れ】が始まり、寒くてもなんか心の中で【暖かみ】を感じていたので、さほど極寒とは感じなく今まで人生を生きて来た。

また、【春が始まった・・・】、と、思うと、なんか気分もすっきり高揚するから生命というのは本当に不思議だ。

しかし、2月が一番寒いのだ・・・と自覚するようになったのは、やはりお天気ニュースでの気象予報士の発言だろうか。

48歳のある時の1月の下旬。正確には末日に近い下旬のころ、ある時、お天気キャスターが言った。

『一番寒い2月にいよいよなりますが・・・』と。

それで、初めて、お恥ずかしい話だが、2月が一番寒い時期なのだ、と自覚する認識をもった。

話は変わるが・・・

少年期から青年期、そして中年の最初の頃、正確は39歳頃までは、夏と言う季節は好きだったが、今は夏は、どちらかと言うと嫌いだ。正確には大嫌いになった。

その理由は、48歳の時に内科病院の医師の診断で、僕は、【2型の糖尿病】と診断された時期から、色々な悪条件が重なり、体力の消耗が激しく、真夏の一番暑い日に外に出かけて3時間も外を歩くと、お恥ずかしい話だがもう僕の体力はヘロヘロだ。

また、今では、やや早い【老い】も感じるせいか、体力の限界を最近では感じるようになった。

39歳までは、普通の企業に勤めながら、並行で占い師の仕事をしていた。

つまり僕は仕事を二つ持ち、二つのわらじを履いていた。

39歳までは、身体の衰えなど感じる感覚すらなくてガンガン・バリバリに肉体労働もこなしていたが、50歳を超えると、もう体力の限界をホント感じるようになった。

もう、若い時みたく、今はかけ足で【全力疾走】何ていうのは無縁に近い。

なので、本日は、【幸せの翼・3】という事で、【人生の刺激】を語ってみたいと思う。

人間は、ある意味、【刺激】の中で常に24時間365日を暮らしている。

味覚、触覚、視覚、心の刺激、発言の刺激、意思の刺激、まだまだ刺激を上げ連なったらキリがない。

そのあらゆる刺激の中で、一番【中核】となる刺激は、何といっても【心の刺激】が一番重要だ。

心の刺激というのは、【ある】と心身共に人間的な成長を遂げ、【ない】と、惰性と堕落に落ちていく運命にある。

また、【刺激がある】、とは、つまり縁の事を言うが、心に刺激があり続けると、人間は先ほども書いた通り、心身共に成長も遂げるが、その刺激とともに密接している環境にも心の変化の結果が伝播や変化をすると書けば理解しやすいだろうか・・・。

しかし、生命論的には、刺激があり続ける時は、人間的成長はあり続けるが、逆にこれを心の放出するエネルギーとして観ずるならば、先ほど書いた【ない】刺激は惰性と堕落に落ちていくと書いたが、成長が止まった人間の惰性を自分の【心の目】がその魔を見破った時の【猛反省の刺激】のエネルギーは、逆に掛け算の如く人間を成長させていく・・・。

これが、人間の生命の不可思議な真実の姿だ。

だから、人間は、成長し続ける刺激も大切だが、長い人生を歩む人生観から一人の人間を観るならば、人生さらなる成長をする為には、【惰性と堕落】は、気が付いたならば最高の人間成長への【因と結果】を生み出す・・・と、僕は正しい生命論を学んでそう思っている。

しかし、すべての人間は、どんな苦難にも耐える【根性】を心の中で持っているが、【甘い蜜の快楽】には人間はモロイ傾向性を持っている。

人間は、苦しい時の【苦難の時】は、頑張って努力して、早く今の現状を打破しようと率先の如き努力を続けるが、だが、結果が豊和して、楽なダラーン、とした環境になると、人間はその環境に【長く浸ろうとする性質】がむき出しになる。

まあ、極端な例だが、落ち続ける時は、這いあがろうと努力するが、快楽に落ちると、それをずっと貪ろうとするのが人間の生命の一種の【癖】だ。

人間は、心で【気持ちいい】と感じてしまうと、長くその感覚の刺激に浸ろうとするから、脱皮まで相当長い時間がかかってしまう。

しかし、これも極端な例だが、甘い快楽の世界を、心で【いけないっ!】と律してこれでは自分はダメになると悟った時には、人間は、【大きな成長】がある、という事だ。

つまり、慢性的な断続的な刺激のブレーキより、突然の閃光の如き悟りの急ブレーキの方が成長のエネルギーは掛け算の如く多大で大きいという事だ。

だからある意味、これは人間関係の中で絶対に双方で【信頼感】が必要だが、厳格な慈愛の叱咤激励のような生命への爆発的な刺激は、一切の悪しき魔から脱皮できるチャンスだから、正しい生命論を実践する社会・団体は、どんどん大きい成長がみられる、という事だ。

なので、人間の人生は、常に【刺激】がないとダメだ、という事だ。

ここまで、【良い】か【悪い】かだけの話をしたが、大きな分野の世界でも同じだ。

人間は、社会においては、【競争】という刺激で、文明も繁栄してきた。

また、【生きる】という側面から観るならば、人間は常に刺激がないと、人は人生を生きていけない。

刺激がない人生は、人間をダメにし成長すらも出来ない。

人間は、心に大きな刺激の二つ輪を持っている。

ひとつは、【黒い野望】だ。

だがこれは、良い【黒い野望】と悪い【黒い野望】がある。

良い【黒い野望】は、権力は欲しがるかもしれないが、社会を向上させる傾向があり、逆に、悪い【黒い野望】は、人間を破滅へと向かわせる。

もう一つは、【希望と栄光】という刺激の輪だ。

これは、説明する事もないとは思うが、要するに理想を現実化しようする刺激だ。

人間は、常にこの二つの刺激の輪の中で、葛藤・反省・成長・希望・理想を描いていく。

生きていく上では、何事にも【正しき判断】が必要となるが、その二つの刺激を活かすも殺すも、結局のところは、【人間の智慧】にかかっている、という事だ。

いくら【知識】という宝があっても、それを活かす【智慧の刺激】がないと、すべては現実の中で、心の幻を具現化できない。

また、その現実の具現化を成功させるには、心の刺激で積まれた【心の財】という宝の財宝の連なりからなる【信念】と【執念】がないと一切は無念な水泡の結果へと消え失せる。

いや、消える事すらもなく、生まれる事もたぶんないだろう。

人間は、人生を豊かにしたいがために、刺激を求めている。

要するに、その刺激を【具体化】させ、【現実化】できるものは、一切は心の【一念】であり、【決意】なのだという事を申し上げて本日の投稿記事を終わりにしたい。


今回も最後まで投稿記事を読んでくれてありがとうございました。

この投稿記事を観覧するすべての方々の幸せを祈りつつ・・・。

占い師・救済X主宰  菊月孔命


 

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