幸せの翼・2

菊月 孔命

2018年1月8日、月曜日(成人の日) 東京の天候 曇り 一時 雨 の 予報

最高気温10度

やや、遅めですが・・・

皆さん、新年あけましておめでとうございます。

今年も、【インターネット無料サービス連盟・救済X】をよろしくお願いします。

当初の予定では、今日は更新記事を書く予定ではなかったが、本日は【成人の日】という事で、本日、晴れて成人になった皆様を祝して、本日は【人間の可能性】について【幸せの翼・2】として投稿記事を書きたい。

まあ、これはよく世間でもよく耳にする話ではあるが、よく人は、人間の可能性は【無限大】などとよく言われる。

この【無限大】という発言は果たして正解なモノなのだろうか?

答えは【イエス】である。

しかし、現実のこの世の世界では、この無限大の可能性に向けてある目標を成就させるのは、非常に難しい。

それは、人生とは、非常に【険しい道のり】だからだ。

いくら人間の可能性は無限大だと言えども、例えば、どんなに頭が良く、頭脳明晰の人でも、【お金】がなければ、大学への進学は断念しなくてはいけない。

まあ、現実の世の中は、アルバイトで学費を稼いで大学に通っている素晴らしい学生達もいるが、しかし、これは決して平たんな楽な道のりの人生ではない。

現実の人生は本当に厳しい。

現実社会の世の中は、本当に【冷淡】で、情すらも冷た過ぎる時がある。

しかし、この現実を乗り越え、人間は皆、自分の人格を鍛え、完成された人生を歩んで行くのである。

例えば、お金もあり、有名大学を卒業をして、一流企業に就職し、真面目に働き続ければその人の人生は、【収入】に関しては、確かに【安泰】かもしれない。

まあこれは、僕の他のブログサイトでも書いているが、よく【お金を基準】にして人間の幸福を図る人がいるが、お金は【幸福度】は確かに測れるが、【真実の幸福】は図れないし、現実問題としてお金がなくなれば、その幸福感も自然と時とともに気持ちが薄れ、いずれかはお金を基準にした幸福は【消滅】を迎えるのは確かな現実なのである。

これを【正しい生命哲学】の世界で表現すれば、【相対的幸福】と言っている。

話は、ややちょっとだけズレ込んだが、社会においては、お金と言う【可能性】があれば、今の世の中は、だいたい【願い】が成就される確率が高いが、これは、人生の【一方通行】の確実な可能性であって、切実な現実問題として、お金がない人には、たとえ【同じ夢】を持とうがお金がなければ夢は成就できない。

だから、それ以外の人間は、別の意味で、夢が【叶う】か【叶わぬ】が判らない【可能性】に自分の未来を賭けるのである。

先の話は、一つの目標のゴールを一方通行の可能性で話した内容だが、この同じ目標の可能性でも人間の人生と言うのは、ある意味【天文学的数字】の可能性の方程式があると言ってよい。

つまり、解りやすく言えば、学力が無かろうとお金が無かろうと、自分の心の決定した【強い一念】があれば、何万通りとある可能性の道の方途のその中の一つを歩いて目標を成就させる事が可能なのだ、というお話だ。

たとえばの話だが、自分の目標のゴールの【夢】が叶わないように見える人生でも、人間の知恵と知識と運命観、そして使命感というのは、同じ目的を目指すにしても、何通りもの選択肢があり、努力し常に苦労を厭わず、常に自分を律して人生を歩んで行けば、例え会社の社長になる夢が破れたとしても、また別の角度からその同じ職種の仕事に就いて自分の心を【満たす】ということで人間は、【充実した幸福感】を味わう事ができる。

なので、人間の【本当の価値】を問うのは、長い年月をかけないとダメなのである。

例えば、20代の頃に、ある縁がきっかけで社会的に最低な大きな汚点を落とす人生になろうとも、30年の年月が流れた時には、うん千人の社員を雇う大会社の社長に君臨する人生の人だって世の中にはたくさん存在する。

なので、人間の人生と言うのは、【最後に勝った者】が本当の勝者の人生なのだと申し上げたい。

人生の【途中の失敗や汚点】などに一喜一憂することなく、めげずに頑張り続ければ、きっと【その人が満足する】、そして、【充分に納得】できる人生になる事を僕は皆様に申し上げたい。

よく人生というモノを表現するのに、【桜梅桃李】という言葉をよく使うが、最終的にその人【なり】の人生行路の中で、成功し満足すれば、人生は【それが正しい幸福感】だと言えるだろう。

しかし、その【桜梅桃李】の人生の中でも特に大切な事は、【情熱】と【信念】、そしてもっとも大切なモノは、【正しい思想と人生哲学】を身に付けなければいけない、という事だ。

これは、当たり前の話ではあるが、【間違った人生観】を基に人生を生きると、【一切が不幸の因と縁】を創りだしていく。

もっと解りやすく言えば、正しい判断と選択肢における人生は、【間違いのない正しい人生】を送れる、という事である。

たとえ、人生の途上で、何かの失敗をもししたとしても、それをフォローし事態を善い方向へと転換できる判断と選択肢があれば、人生は間違いなく善き人生へと軌道修正ができる。

しかし、その軌道修正の人生でも油断してはならない事は、【惰性の魔】である。

人間の心を蝕む【惰性】ほど恐ろしい心の魔はない。

人生において【惰性】とは、すべてにおいてその人間の人生を【低下】させていく根元なのである。

その惰性の魔をやぶるものは、先に話した【自分を律する】という事なのである。

また率先の人生も、人間の人生にとっては大事なポイントだ。

自分が変われば、【周囲の環境】も変わっていく。

これが生命の正しい法理なのである。

また、それを【判る】という事は、【変わる】という事でもあるのだ。

あと、人間の可能性と言うのは、【縁】によっても大きく変わってくる。

その【縁】に縁するという事は、ある意味、運命論のお話になるが、その縁に即する人間の生まれ持つ【福運】というものが無いと、目的の【縁】、【結果】には、到達、つまり【縁】することができない。

【福運】というモノは、一切の自分の【心の宝】の事を言う。まあ、これは解りやすく説明すればの話だが。

しかし、人間の可能性というモノは、ある目的を成就するだけが【可能性】と言える事ではない。

人間には、【心に眠っている可能性】も【可能性】の一つだ。

先にも述べた【無限の可能性】とは、行き着くところは、【心に眠っている可能性】を主に人間は指示している。

これは僕自身の話題で申し訳ないが、僕は子供の頃の夢は、【発明家】になりたかった。

しかし、これは長い人生を生きて来て初めて理解した事だが、子供の頃の発明家という夢は、自分で何かを【作りたい】と言うのを表現した言葉であり、僕の人生は、若い20代の時はバンドをやり、作詞作曲もやった。

ある意味、この作詞作曲も発明と言えるだろう。

この【発明家】という感覚は、ぼくの中では、【自分の可能性に賭けた仕事】をしたかった、という意味がやっと20代半ばで理解が出来た。

それが、僕で言えば占い師だ。

依頼者の苦の運命を転換させる【参考意見】を【発明】して教える仕事が僕の人生の主流になった。

なので、人間の人生と言うのは、【発明家】という一つの語源の可能性を突き詰めても自分の心に持つ【福運】とそれにまつわる【縁】によって、同じ表現でもいろいろな事態へと変化し、その人の夢を成就させる人生へと福運と縁が誘うという事である。

人生において、【ひとつの目的】に向かって、一方通行に人生を突き進んで【夢】を叶えるのもその人の【人生】・・・・。

また、色々な遠回りをして、色々な経験しながら同じ目的を成就させるのも、それも【ひとつの人生】だ。

お金があれば、確かに楽に物事が事を運び成就は出来るが、人間の本当の生き方と言うのは、それは本当の真実ではない。

人間の本当の真実の生き方と言うのは、色々経験して遠回りをしながら生きるのが本当の可能性に賭けた【真実の人生】なのだ、と申し上げて本日の【幸せの翼・2】を終わりにしたい。

今回も最後まで読んでくれてありがとうございました。

この投稿記事を読むすべての方々の幸せを祈りつつ・・・・。

占い師・救済X主宰  菊月孔命



 

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