運命転換分析論・出会いと別れ

菊月 孔命
5月27日、土曜日 東京都の天候 曇り のち 時々 晴れ の 予報 
最高気温27度
今回の投稿記事は、本当に久しぶりの投稿のように思える。
前回の投稿は、5月3日に公開した【救済X平和提言】以来の投稿になるので、日にち的にも投稿に関しては久しぶりだが、前回の投稿は原本原稿からのコピーペーストだったので、直書きの投稿は、先月以来の投稿記事となる。
5月も、もう早くも下旬となったが、前回の3日からの投稿からあっと言う間に時間が過ぎた思いである。
ダラダラとしている暇はない。
一日一日が僕は勝負の時であり、真剣勝負の大闘争だ。
今回の投稿記事も、渾身の思いと全身全霊を込めたメッセージを全世界の人々に贈ろうと思う。
今回の投稿記事の分析論文は、人間の【出会い と 別れ】をテーマに書こうと思う。

出会いと別れ・・・・
そして運命と人生・・・・

人間の人生、なかんずく一瞬一瞬の遭遇は、まさしく【出会いと別れ】の連続運動の中で、人間の不可思議な人生行路が成り立っている。
その一瞬一瞬の遭遇の中でも、一番大切な現象とは、【他人との出会い】だ。
この分析論文を読む方々も、一応は、解っているかとは思うが、新しき他人との出会いとは、自分の今の人生を大きく転換し、また大きく飛躍する可能性を多分に秘めている。
また逆に、その遭遇が悪縁で悪しき人間ならば、その縁が原因で、自分の人生が大きく、正しき人生のレールから外れる可能性も秘めている。
自分の敬愛する人生の師匠も折に触れ語っているが、どんなに良い人間、正しき人間でも、悪条件、もしくは、悪人、犯罪者との縁に長期間にわたり触れると、二、三割の人間は、【悪縁】に飲み込まれたり、または本当の【悪人】になる運命にある、と、ご指導されている。
僕は、折あるごとに考えるが、人間の出会い、そして、別れは、【今の自分にどういう意味を投げかけているのか?】と、いう事をよく考えるが、その究極の真実はまだ僕の半世紀の人生観の中では、その答えは残念ながら得られていない。
人間と人間が出会う、というのは、平凡な日常では、あまりにも【身近過ぎる出来事の現象】なので、何の変哲もない【感覚】だが、しかし、生命哲学から人間の出会いを伺うならば、それはもう、最高の感動の大ロマンのお話しになる。
これは、つい先日の話になるが、無料鑑定の依頼者にお知らせメールを送って、後に相手から返信が来たり、また僕から返信もしているが、その中の話題の中で、こう言うお話をさせて頂いた。
『ある科学者の話だが、人生の中で、心根の良い心(しん)から人の幸せを思って占っている占い師に出会える人生の確率は、180億分の1の確率』なんだと・・・。
まあ、話は少し反れるが、僕は、その心から人の幸せを思う、【本物】の占い師を目指しているつもりだが、しかし、この話は、例えて【占い師】としているが、究極の結論は、【良い心根の人】に出会える確率も180億分の1という事になるのではないだろうか?
しかし、これは、地球上内にいる場合の確率で、宇宙全体観からこの確率を述べるならば、まさしく天文学的な数字になるのは言うまでもない。
宇宙全体の中の【銀河】の中の、なかんずく【太陽系の中の地球】で人と出会えた、という事は、まさしく、【稀】で、尚且つ、【人間として生を受ける】この確率にしたって生命論から述べるならば、これも天文学的数字で何憶万倍をも超越する確率で、深き使命があって、意味あってこの地球に人間に生まれて来た、という事になる。
それだけ、人間に生まれ、この地球で人と出会う、というのは、まさしく神業の神秘的な論理の世界から成り立った【遭遇】、という事なのである。
で、この論理にさらに話を付け加えるならば、【その人】と【自分】は、なぜこの世で出会ったのか? という疑問に答えるならば、それは、間違いなく【あなたに使命】があり、その人と【出会わなくてはいけない深い意味】があるから、因果の法理から述べるならば、意味があって必然に出会ってしまった、という事なのである。
それは、過去の【原因】が良かったのか、悪かったのかは、【交流】をその出会った【他人】と持たないと、人生での深い意味は【見えてこない】訳だが、ただ、これだけは述べておきたい。
その【新しき出会いの人】は、見るからに【悪そうな人】、もしくは、話しただけで【悪い人】と、印象から判る人とは、僕の人生経験から言わせてもらえば、【交流】を絶対に持たない方が人生観としては【無難】であり、人生の【正しき軌道】なのだと皆様に申し上げておきたい。
人生の中での【出会い】とは本当に大切だ。
裸眼の世界では、【平凡な素朴な出会い】かもしれないが、会ったばかりでは判断はつかないが、もしかしたら【その出会いの人】は、自分の人生に大幸福の恩恵をもたらす【転換期】に導く人間かもしれないからだ。
人間は、会ったばかりでは、ただ【楽しい出会い】かもしれないが、人生の中で深く【交流】を持つと、その相互間の人間関係の深い意味をたまに悟る事ができる。
また、その出会いが、【自分】にとっては、あまり良い縁ではなく、悲しいかな【悪縁】だったと思う場合でも、何らかの【出会いの意味】を悟る事がある。
ただ、【悪縁・悪人】は、また別の話ではあるが、それ以外の【縁の人】とは、未来に進んで行く中で、【会うたびに良い出会いと良い結果】を残せるような【交流】を【持てる努力】を毎回、自然体の中で繰り返し行わなくてはいけないと、僕は、人生の【反省】の意味も込めて、そう今の自分に結論付けている。
その、【会うたびに良い出会いと良い結果】を創り上げる事によって、深き絆と固い友情に結ばれて、【永遠の友、もしくは、永遠の友情】になる場合もあるし、異性間の交流ならば、【恋が愛】に変わり、それはいずれ、【人生の伴侶】と発展する場合もある。
人間の【出会いの縁】というのは、一瞬一瞬の毎回の度重なる触発によって変化を示し、それが自分の【条件】に合えば良縁になり、即わなければ、悪縁、もしくは【無縁】だった、という事になる訳だが、それは確実に、【平凡】の毎日の中でその縁がある、という事だ。
つまり、その平凡の縁で出会える【小さな幸福】こそ、人間本来の【本当の幸せ】だと言っても良いと、僕は半世紀生きて来てそう思っている。
人間は、何かと、平凡の中に何か特別な新しい【刺激】を求め、常に新発見をしたい人生の衝動にかられるが、だが、この論文を読む方は、よーく考えてほしいと思う。
その【新しい刺激】は一瞬の出来事の現象であり、その刺激に一喜一憂しても、人生の中では、決して大きな結果には【つながらない確率】の方が大きいのだ、と申し上げておきたい。
しかし、この今のお話は、世間一般のお話で、物理学者、科学者は、また別の次元のお話しなのだ、と申し上げたい。
科学者・物理学者は、その【一瞬の刺激の中】にこそ、究極の答えが眠っている可能性があるから、その【一瞬の刺激】こそ、世界の論理を一変させてしまう結果を及ぼす可能性の時があるから、平凡な刺激と言ってバカに出来ないモノがある。
その物理学者・科学者が見つけた【大発見の刺激】によって、現代の文化や文明が築かれたのだから・・・・。
しかし、この【縁の発見】は、一流の科学者・物理学者だけに言える世界ではない。
この【縁を発見】する能力というのは、人間に生まれてくれば誰しもがその能力を備えて平凡な人生を毎日生きている、と言って良いと思う。
僕は、独自の研究学問の【超神理(ちょうしんり)占星学】・ハイパーアストロロジィーの論理を創り上げる中で、色々な自然科学や物理学を縁する度に学んだり、研究素材にその【学問】を入れ込んだりするが、【縁の刺激】は、誰でも【発見】できる。
ただ、その【真実の究極の質】は、【見つめる人の能力と知識と認識】の中で次元と数値の変動が起きるだけで、知的財産が豊富であればあるほど、【究極の心理】を見つけやすいし、また意識の【方向性】によっても結論の得方が違ってくる。
そして、【見つけた答え】、つまり新しい【縁したある刺激】を見つけた人は、それだけの【知識と認識】、また一般論から述べるならば、【自覚】も備わるからその【刺激の結果】に到達する、という訳だ。
また、これは面白い話のジャンルになるかもしれないが、人生の【出会いの究極】である、【夫婦】になる、ということは、双方の心の境涯、もっと解りやすく述べるならば、【心の器】があまりにも似ていて【近すぎる存在価値】だから、究極の結婚を人生の中で選択する訳で、未来に起こりうる結果は別問題として、結婚のゴールに至った両者二人は、間違いなく、【平凡の中の刺激の発見】に大成功した二人で、間違いなくこれは、知的財産のレベルこそは違うが、一般人でも一流の科学者や物理学者の【眼】と同じ物(視野)を持つ人間という事ではないだろうか?
一流の科学者や物理学者にしても、【平凡な民間人の科学者】にしろ、のちの未来に大きく恩恵をもたらす人生の方程式は、皆、同じ論理である。
結果的には、一般人に関しての話だが、【幸福の刺激の大発見】が良縁か悪縁かで未来の結果は変わってくるが、地球上に生きとし生ける人間は、皆、【一流の平凡な科学者】だという事だ。
そして、また、【別れ】も同じことが言えると思う。
世の中には、【別れを切り出せない】、見てて、イライラしてくる人間もいるが、【別れを切り出せないために逆に切られた・・・】という結果も世の中には存在する。(笑)
【別れ・・・】と、言う言葉には、簡単に心で受け入れられない不可思議で複雑な感情論が宿る事が多いが、【別れを知る事】によって、人生の真実の意味、また、自分自身の真実の姿を悟れることがある。
【別れ・・・】と簡単に言葉で口から発しても、その究極の答えは本当に【重い】ものがある。
人間は、悪縁が多すぎて【別れ・・・】と言う結果になる時もあるが、しかし、【良い未来にするために・・・】、【別れ】という形を迎えなくてはいけない時もある。
いずれの別れにせよ、やはり人間の人生には、いつも【学び】と【鍛え】が存在し、同時に具足する、という事ではないだろうか?
ただ、これは深い次元の話になるが、単純に【別れ】とは、【終わった】という言葉では表せない、特別な深い意味が存在するのも本当の事実の話だ。
生命哲学の世界から論じるならば、【宿業や宿縁】が切れたから別れた、という見方もあるが、ある反面の角度から言うならば、【使命が終了した・・・】という意味もある。
生命哲学から論ずるならば、出会いと別れは、双方の両者に互いに【もたれ合う使命】が因果の法理の中で目には見えないが、現実問題として存在するためであり、【深い意味】がなければ、【相手】と【自分】は絶対に現在の世の中で出会う事はないのだ。
また別れにしたって、【すべてやり切り】、【使命が終了】したから、【別れ】が訪れるのであり、別れに伴う悲しみは、【縁と使命度】によって、その深さは違ってくる。
この世の中に生きる民衆は、【全員】、一人では絶対に生きて行くことはできない。
誰かしら、また何かしらに【縁】しないと生きてはいけないのが現実の人間だ。
【出会い】というモノは、すべてにおいて【深い意味】がある。
また、【別れ】というモノには、すべてにおいて、さらに【深い意味】がある。
人間において【縁】とは、【発見】であり、【刺激】とは、【継続】を意味するのだと、僕は半世紀生きて来ての結論だ。
たとえ、どんなに【小さな刺激】だろうと、発見できた人は、一流の科学者に匹敵する人たちだと思う。


今回の分析論文の最後に、我が敬愛する師匠の指導を引用したい。

精神】という、【目に見えない価値】に、どれだけ敏感でありえるか、どれだけ【見えないもの】に目を凝らし、【聞こえないもの】に耳をそばだてる事ができるか。そこに人間としての【証】があり、文明を導いて行く羅針盤がある・・・・


まさしく、人間の人生とは、この師匠のご指導の言葉通りだと確信する次第である。
すべてにおいて、人生の【深い意味】を長い時間をかけて解明する姿が、【平凡な一流の科学者】だと言う事を最後の閉めの言葉にして、今回の僕の分析論文を終わりにしたい。


今回も、最後まで、この分析論文を読んでくれてありがとうございました。
この分析論文を読むすべての方々の幸せを祈りつつ・・・。

占い師・救済X-主宰- 菊月孔命



 

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